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  [ブランド名]
ミッソーニ(Missoni)

[解説]
 鮮やかなマルチカラーのニットウエアで知られるイタリアのラグジュアリーブランドです。デザイナーが代替わりして、新たなブームの気配。創業者夫妻の長女、アンジェラ・ミッソーニ(Angela Missoni)氏が1998年春夏から、レディース・プレタポルテの主任デザイナーを務めています。

 2004年春夏ミラノ・コレクションでは「ナチュラルライト」をテーマに、軽やかなロングカーディガンやリゾート風のスタイルを提案。オプティカル(目の錯覚を利用したようなデザイン)なパターン、ホルターネックのドレスなどが新鮮に映りました。

 デザイナーがアンジェラに代替わりして以降、布や毛皮といった、ニット以外の異素材を使った作品など、「ミッソーニ」の伝統にとらわれない作品が登場。高発色のビビッドカラーばかりではなく、黒や白、ベージュ、中間色などが目立つようになりました。素材面でもシフォンやジャージーといった薄手の軽い素材が採り入れられ、エレガントな官能美が強調されています。

 1953年にスタートした「ミッソーニ」は創業以来、流行を追わない主義を貫いています。虹を織り込んだようなストライプや、気持ちまで弾むジグザグ模様などが定番デザイン。炎が幾重にも絡み合うような「フィアンマート」(イタリア語で「炎」という意味)柄もコレクション毎に新デザインが追加されています。

 「色の魔術師」の別名で知られますが、「魔術師」というイメージとは裏腹に、奇をてらったデザインは避け、長く着られるラインを柱に据えてきました。だからこそ、今でも「ミッソーニ」の服は時を経ても古臭くならず、むしろ時を超えたみずみずしさを帯びるようになったのでしょう。

 ロンドン夏季五輪の陸上400メートル障害でファイナリストとなったほどのアスリートだった創業者のオッタビオ・ミッソーニ(Ottavio Missoni)氏はスポーツウエアの機能性をニットに持ち込みました。糸を布に織り上げた後で立体裁断するため、ボディーラインにしっくりフィット。年齢や体型を選びません。

 あまりの色数の多さから、一見、まるで思いつくままに色を並べているようにも見えますが、もちろん配色は緻密に計算されていて、隣り合った色同士がお互いに干渉して異なる視覚効果を生み出すオプティカルアートの技法が駆使されています。一つ一つの色は強くても、離れて全体を見ると、くどく映らないのは、こうした裏技のおかげです。

 「プット・トゥゲザー(put together)」。1枚のニットに様々な色や柄を詰め込む、「ミッソーニ」伝統のマルチミックス手法です。「ミッソーニ」では今でも毎シーズン、20種類以上の異なる素材の糸と30種類以上の色を新たに考案しているそうです。1枚に多様な要素がミックスされているので、コーディネートの自由度はむしろ高まるわけですす。

 同じイタリアのブランド「エミリオ・プッチ(Emilio Pucci )」と同じく、新デザイナーの登場を機に、コレクションが勢いを取り戻し、ブランドそのものの再評価も進んでいます。年輩層好みというイメージが強かったのですが、デザインの若返りが急速に進んでいます。着回しのしやすいラインが増え、デニムやレザーといった非ニットアイテムとのマッチングも楽しみやすくなりました。サイケデリック調の復活ムードが高まる中、ますます期待大のブランドとなっています。

●ブランドデータ


[本国]
イタリア(ミラノ)

[経営・日本での展開]
 日本ではオンワード樫山が展開。「ミッソーニ」ブランドは日本には1973年に進出した。西武百貨店子会社のエルビスが長く販売権を持っていたが、オンワードが2003年に国内販売権を譲り受けた。この時点で48店だった「ミッソーニ」ブランドの店舗を2005年度までに60店に増やす計画といわれている。西武百以外の百貨店にも出店する方針とされる。

 オンワードは「ミッソーニ」とともに、「ジャンフランコ・フェレ(Gianfranco Ferre)」「ソニア・リキエル(Sonia Rykiel)」などのブランドもエルビスから引き継いだ。新たに「ラグジュアリー事業本部」を立ち上げ、高級ブランド部門を強化している。

[歴史]
 創業者のオッタビオ・ミッソーニ(Ottavio Missoni)氏は1948年のロンドン夏季五輪に陸上400メートル障害で出場し、決勝に進んだ。27歳だったオッタビオ氏は友人とニット製作の仕事を始めており、母国選手団のユニホームも彼がデザインした。当時17歳のロジータ(Rosita)夫人は英国に留学していて、たまたま応援に行ったスタジアムでオッタビオ氏と知り合った。

 ロジータ夫人の実家は祖父の代から生地の製造工場を経営していた。2人は53年に結婚し、ミッソーニ社を設立。イタリア北部のガララーテで住居の半地下に設けた工房でニットの制作を始めた。当初はオッタビオ氏の経験を生かしてスポーツウエアを生産していたが、やがてデザイン性の高い作品を手がけるようになった。54年に長男・ヴィットリオ氏、56年に二男・ルカ氏、58年に長女・アンジェラ氏が生まれた。

 縦の多色ストライプは「ミッソーニ」の看板とも言えるデザインだが、ミッソーニ夫妻が最初に導入した編み機がストライプしか編めない機械だったため、結果的にストライプが世に出ることになったという。66年にミラノで「ミッソーニ」ブランドとして初のコレクションを開催。夫妻は機械編みの新技術を開発しては、デザインのバリエーションを広げていった。

 それまでのニットでは難しかった多色編みのストライプやジグザグ模様などを提案し、ニット技術に革命的な変化をもたらした。70年代には「世界最高のニットの作り手」としての評価を確立し、「ニットの魔術師」と呼ばれるようになった。

 長女のアンジェラ・ミッソーニ(Angela Missoni)氏は78年からアシスタントとしてミッソーニ社に。92年、自らの名を冠したコレクション「アンジェラ・ミッソーニ」を立ち上げた。98年春夏から両親の後を引き継ぎ、「ミッソーニ」ブランドの主任ディレクターに就任した。

 「ミッソーニ」はファミリービジネスの典型例といわれる。。長男のヴィットリオ氏は社長として経営面を、二男のルカ氏はメンズのデザインを担当している。

[現在のデザイナー]
アンジェラ・ミッソーニ


[キーワード]
ニットウエア、マルチカラー、「色の魔術師」、ストライプ、ジグザグ模様、プット・トゥゲザー


[魅力、特徴]
 いつかは1枚持ちたい上級者ブランド。値段は張るけど、長く着られるので、結局はお値打ち。デニムにもミニスカートにも合わせられ、マッチング次第で、ガラッと雰囲気を変えられます。小さく畳んでもしわになりにくいので、旅行にも重宝です。

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